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南大阪病院のあゆみ

昭和25年8月
戦時中軍需工場であった旧日本冶金工業株式会社跡地の一部(5,330.45㎡)を購入。
同年9月3日、大阪地方を襲ったジェーン台風に見舞われ建物も木端みじんに飛び散り、その形さえとどめなかった。
しかし持ち前の不屈の闘志をもって、荒野の中の廃墟を経済的困難と人心未だ和やかでない建設業者を駆使して復旧につとめ…

創立当時の正面入口より見た全景
門内の車は患者輸送車

昭和26年 南大阪病院の誕生

1月 内藤医院として開院
4月 戦後の廃墟の中から今日の総合病院南大阪病院の母体が完成した。
5月1日
(創立記念日)
南大阪病院と改称し、診療科目は内科、小児科、産婦人科、放射線科で病棟115床で開院。

昭和27年 病院の基礎造り

7月 設備構造の改築を行い、更に内臓外科、整形外科、呼吸器科、気管食道科を増設。

昭和28年 産婦人科病棟 新築

3月 南大阪病院医学雑誌創刊
10月 産婦人科病棟を新築し病床数を145床に増床。

新築になった産婦人科病棟(左側)

昭和29年 人間ドックを新設

11月 大阪市南区久左衛門町に分院並びに予防医学を主体とした老人医学研究所(成人病、人間ドック)を新設。日本における人間ドックの創始者となる

昭和32年 大阪府下第一号の総合病院

7月 病棟の増築を行い、病床数を188床に増床し、創業以来わずか6年、総合病院として認可を受けた。
大阪府第1次認可は7カ所(大阪市内4カ所、府下3カ所)であったが、その中で唯一の私立病院として異彩を放った。

総合病院認可の頃

昭和34年 地域医療に徹す

地域医療に徹する活動はすさまじいものであった。
各科の診療は朝9時から夜8時まで(当初は9時まで)行われ、若手医師は中古の自転車にかばんを積んで交替で往診に走り廻っていた。

交通不便な地域を巡回した無料送迎バス

昭和35〜36年 職員宿舎を新築

昭和35年2月 医学の進歩に伴い老人医学研究所施設は狭隘となり、本院の成人病科に合併。
昭和36年4月 医病院近くに職員宿舎を新築し、職員の厚生施設の改善をはかった。

近くに建てられた職員寮「第2以誠寮」

昭和36年 各種行事も活発

木造ながら病院としての機能を十分果たせるまでに整備されてくると、各種の行事等も活発となった。 南大阪病院新聞の発行。お産の教室、離乳食調理講習会の催物も定例の行事として軌道にのってきた頃である。

お産の教室

昭和37年 医療法人に改組

1月 規模が大きくなってくると、個人での運営はあらゆる面で難しくなり、昭和37年1月1日付で医療法人景岳会 総合病院南大阪病院に改組した。
病床数240床に増床、又、各種保険医療機関の指定をうけ、基準給食、基準寝具の許可を受けた。

医療法人立 南大阪病院の表札

昭和37年 第1期鉄筋化工事(中央病棟)

9月 新館(中央病棟)が落成し、鉄筋建築への幕開けとなった。
患者収容定員の増加をはかり、病床数を376床とした。

新館(中央病棟)落成の航空写真

昭和40年 第2期鉄筋化工事

病院構内に鉄筋4階建の看護婦寄宿舎、講堂、図書室、会議室を新築し、看護婦収容数の増加と職員研鑚の場を設けた。
新たに消化器科、循環器科、皮膚泌尿器科、性病科、肛門科を増設。

第2期工事完成(以誠寮の東側より)

昭和41年 第3期鉄筋化工事

中央病棟東側に冷暖房施設を有する鉄筋病棟の増築を完了し、病床数を438床に増床。リハビリテーション科を整形外科に併設。テレビレントゲン装置他各種レントゲン装置の近代化、産婦人科診察室、分娩室、新生児室、未熟児室、指導室を充実し、アレルギー科、聴力精密検査室を新設。

第3期竣工後の病院全景

昭和41年 創立15周年

『幸にして全職員の協力と各界の皆様のあたたかい御指導、御支援、ご協力によりまして、順調な発展をとげ、今日の満15周年を迎えることが出来ましたことは、誠に慶びに堪えないところでありまして、衷心より深く感謝いたす次第でございます。』
院長 内藤景岳
創立15周年記念史より

創立15周年記念式典で挨拶する内藤院長

昭和44年 第4期鉄筋化工事(東病棟)

旧第1病棟の解体、患者移動に苦労を重ね昭和44年に東病棟が竣工した。
この棟には地階に厨房の他コバルト治療室、1階に臨床検査室、中央材料室、病理解剖室、礼拝堂、宿直室、2、3、4階は病室、5階に大手術室と研究室、6階には発電機が設置された。

第4期工事完成(東病棟:写真右奥)

昭和45年 附属准看護学院の開校

4月 念願であった附属准看護学院を修業年限2年、入学定員20名、全寮制で開校し、看護教育のスタートを切った。
開設当初、校舎を建設中であったため、南大阪病院10病棟の一部を仮校舎として授業を開始した。

准看護学院門札

昭和45年 第5期鉄筋化工事(南病棟)

12月 旧木造外来診察室、リハビリテーション科、第1病棟・第5病棟、厨房等を解体し、地下1階、地上7階、延5,940㎡で、患者輸送用エレベーターを有する南病棟を新設。南病棟完成により延16,500㎡、総病床数700床を有する近代的総合病院としてその機能が十分発揮できるよう整備された。

南病棟 正面玄関付近

昭和46年 第6期鉄筋化工事(管理棟)

『鉄筋化を企画し、10年を6期に分割し、診療に支障を来さないよう配慮して工事を進め、9月30日全館鉄筋化の整備を完了。病床650床の近代病院として、又新しい時代にふさわしい医療施設をもった病院として、地域の皆様から「よろこばれる病院」づくりに更に新たな努力を傾注する決意をかためる。

全館完成した病棟全景

昭和46年 創立20周年

創立20周年を迎えて 『今日まで20年間、各大学はじめ各界の皆様のご支援ご協力と、当院職員の皆様の一方ならぬご協力によりまして、今日を迎えることが出来ましたことは感慨無量のものがあります。』
院長 内藤景岳  創立20周年記念史より

創立20周年・全館竣工記念式典

昭和48年 南大阪高等看護学院開校

南大阪高等看護学院を修業年限3年、全日制、入学定員25名、全寮制として開校し、同時に准看護学院の生徒募集を休止した。

高等看護学院入学式

昭和51年 南大阪看護専門学校移転

南大阪高等看護学院は教育の充実をはかるため病院近郊に用地を求め移転し、又、名称を南大阪看護専門学校とした。同時に南大阪看護専門学校第2部(進学コース)を同年9月に開校した。

南大阪看護専門学校 全景

昭和52年 第一看護職員寮建設

看護専門学校を卒業し、職員として第一線に立つようになると、看護職員寮が不十分となり、病院と道路をへだてた場所に看護職員寮(地上4階、収容人員100名)を建設した。

完成した看護婦寮

昭和53年 南大阪健診センター開設

大阪市南区久左衛門町に南大阪健診センターを開設し、自動化された各種の最新鋭医療機器とコンピューターを高度に利用して、3時間人間ドックとして成人病などの健康診断を行い、検査項目は60種に及び、成人病の早期発見等、健康管理に努め、予防から治療への一貫体制を整えた。

南大阪健診センター 全景

昭和54年 南大阪学園建設計画

南大阪病院創立30周年を記念して、南大阪学園(南大阪看護専門学校並びに南大阪臨床検査技師専門学校)の建設が計画され、南大阪看護専門学校敷地に建設が始まった。
すでに教育中の看護専門学校(第1部・第2部)は一時病院内の設備に移転した。

南大阪学園地鎮祭

昭和55年 南大阪学園竣工

新校舎の竣工により、南大阪看護専門学校第1部の入学定員を50名に増員、南大阪臨床検査技師専門学校修業年限3年入学定員40名を併設し、南大阪学園と改称した。

南大阪学園 全景 

昭和56年 創立30周年

創立30周年記念事業として建設した南大阪学園も竣工した。
『病院創立以来幾多の困難にも遭遇したが、今日の発展を見ることが出来たのは、病院長以下職員一同のたゆまぬ努力と各位の絶大なるご支援・ご協力の賜である。』

挨拶する内藤院長

昭和56年 特定医療法人へ

地域の中核病院としてこの施設を末永く社会に存続させ、より一層地域医療に貢献するため医療法人景岳会を租税特別措置法第67条の2第1項の規程による特定医療法人の認可を得た。

南大阪病院全景、下手は看護婦寮

昭和59年 救急医療科の拡張改善

地域中核病院としての責務を十二分に課し、24時間救急体制に万全を期すため救急医療科を拡張改善した。

屋上に「救急病院」の標識 


第二看護婦寮(コーポ双葉)建設
(昭和59年2月竣工、定員70名)

コーポ双葉 

昭和62年 総合健診センター開設

南大阪病院南隣りに敷地面積2,554.90㎡を買収し、従来の予防医学(人間ドック)に健康医学(スポーツ施設)を取り入れた南大阪総合健診センターを開設。
「全国第1号厚生省認定健康増進施設」
「労働省認定労働者健康保持増進サービス機関」にそれぞれ認定された。

南大阪総合健診センターと南大阪病院 

平成2年 南大阪立体駐車場

自家用車の普及により従来の来院患者の駐車場を立体駐車場(197台収容)に建替えを行い患者の便宜に供した。

サウスタワーパーキング

平成3年 創立40周年

創立40周年記念史を発刊。
病院創立40年の歴史の流れには幾多の変遷があり歴史の大網がわかるよう
第一部:内藤景岳院長医師生活55年
第二部:総合病院南大阪病院
第三部:南大阪学園(別冊)
第四部:南大阪総合健診センター(別冊)
で構成された。

創立40周年記念史

平成6年 社会福祉法人白寿会設立

特別養護老人ホーム100床、ケアハウス40床、ショートステイ20床、デイサービス事業1日15名、在宅介護支援センター及び機能回復訓練室(リハビリテーション)を有し、地域の皆様に開かれた施設、利用者の方々の生活の場として、在宅福祉の増進に寄与していく施設として設立。

白寿苑  

平成8年 看護師寮の建設

平成4年、第三看護師寮(イーストハウス)建築に次いで、平成8年には北加賀屋駅近くに第四看護師寮(さくら荘)を建築。立地がよく、毎年新入職員の見学希望も多く、2023年現在も利用されている。

平成4年イーストハウス、平成8年さくら荘竣工

平成9年 訪問看護ステーション開設

住み慣れた自宅で利用者の希望に添った、安心の療養生活が送れるよう24時間サポート体制で運営している。

事業所入口

平成12年 介護支援事業所開設

4月 居宅介護支援「南大阪ハッピーセンター」開設。
6月 訪問介護「南大阪ヘルパーステーション」開設。

事業所入口

平成12年 創立50周年

5月 創立50周年および内藤景岳院長医師生活65年を記念し、小冊子の発刊と記念旗を制作

病院創立50周年記念旗  

平成17年 臨床検査技師専門学校閉校

昭和55年(1980)開校後、平成17年(2005)閉校まで、卒業生は第1期生から第23期生まで、総勢701名となった。

南大阪学園全景

平成17年 日本医療機能評価機構認定

審査は2003年10月8日~10日の3日間にわたって行われ、2005年4月25日、バージョン4.0の認定を受けた。
その後、5年毎に更新されている。

受審時最終日全体講評価

平成20年 南大阪病院建替え工事着工

建物の老朽化に伴い、これからも地域医療のニーズに対応していくため現地での建替えを決定し工事を着工した。

当時のホームページ

平成21年 総合健診センター新築移転

南大阪病院の建替えに伴い、南大阪看護専門学校に隣接した敷地に新築移転、運営を開始した。

1階:総合健診センター・2・3階:つむぎ苑

平成21年 透析センター開設

南大阪病院の建替えに伴い、病院内で20床運営していたのを併せて総合健診センターの2階にクリニックとして40床新設し、運営を開始した。

透析センター

平成22年 社会医療法人の認定

1月 南大阪病院開設以来地域医療を守るという使命の元、今後もより質の高い医療を地域に提供し続け、更なる社会貢献を行っていくため社会医療法人の認定(救急医療)を受け、法人名を社会医療法人景岳会に変更した。

認定証

平成22年 日本医療機能評価機構

日本医療機能評価機構より、2010年3月に受審したバージョン6.0の病院機能評価の認定証が届く。当院は平成17年にバージョン4.0の認定を受けており、今回は更新年であった。認定期間は2010年4月25日から2015年4月24日までの5年間である。

平成24年 本館完成

平成23年10月31日に本館が完成し建物の引渡しを受けた。平成25年12月25日に旧病院から入院患者を移動し本館での運営を開始した。また、外来棟が完成するまでの間、本館5階病棟フロアーを仮設外来として運営を開始した。

新病院と旧病院

平成24年 リハビリクリニック開設

外来専用のリハビリテーション施設として、整形外科疾患や脳血管疾患などの運動療法やADLの改善に努める施設として運営している。また、介護保険に対応した通所リハビリテーションも運営している。

南大阪病院附属
リハビリテーションクリニック

平成24年 旧病院解体工事開始

新病院本館が完成し運営を開始したため、旧病院の解体工事を行い、外来棟の建設を開始した。

旧病院解体工事

平成25年 外来棟竣工

平成25年9月に外来棟建物が完成引渡しを受け、平成25年10月14日に外来棟にて外来診療を開始した。

竣工式典・祝賀会

平成26年 新病院全面完成

外来棟の運営開始後、仮設外来で使用していた本館5階フロアーを病棟に改修し、400床の運営となった。また、駐車場、植栽等外構工事も終了し約5年6カ月にわたる南大阪病院の建替え工事が完了した。

新病院(本館・外来棟)全景

平成31年 本部事務所新築移転

外来棟の4階を30床の透析室に変更するため、旧サウスタワーパーキング跡地に本部事務所を建築し法人本部、総務部等が移転した。

本部棟

令和元年 外来透析室の開設

外来棟の4階フロアーを改修し、30床の外来透析室の運営を令和1年10月に開始した。

外来4階透析室

令和5年 手術支援ロボット導入

より低侵襲で機能温存が可能で、患者さんに負担の少ない手術が可能となる手術支援ロボット(DaVinci Xi)を導入した。2024年より泌尿器科・外科で手術が開始となった。

Da VinciXi

令和6年 ホームページ全面リニューアル

病院にとって広報活動がますます重要になったため、病院ホームページの全面リニューアルを行うとともに、広報誌の改訂も行なった。

リニューアル後のホームページ

令和6年 「創立70周年史」発刊

本院創立の1951年からの70年を振り返るとともに、これからの当院の未来を展望する目的で50周年記念史発刊後20年ぶりに、70周年記念史を発刊した。

創立70周年史表紙

令和7年 「地域医療支援病院」の承認

人々が住み慣れた地域で希望する医療サービスを受けられるように、かかりつけ医(主に開業医の先生方)への支援と専門的な医療の提供などを通じて地域全体の医療を支える病院として承認されました。

地域医療支援病院承認証

創立70年の伝統を礎に、
地域へ
そして未来へ